林医師の旅行記:トルコ

 トルコ共和国は西アジアのアナトリア半島と東ヨーロッパのバルカン半島にあり、首都はアンカラです。アジアとヨーロッパにまたがっていて東洋と西洋の玄関になっています。

 

 イスタンブールはローマ帝国末期の330年にキリスト教徒である東ローマ帝国の首都になりましたが、1453年にイスラム教徒であるオスマン帝国の首都になりました。1460年頃からオスマン帝国の王宮としてトプカプ宮殿が建築されました。
 イスタンブールは人々が非常に密集し、現在も賑わいを続けています。街の中央部をボスポラス海峡が通っていてアジアとヨーロッパを分けています。黒海はボスポラス海峡を通じてマルマラ海を経て地中海に通じています。黒海に港を持っていたロシア帝国などはこの海峡を通らなければならず、オスマン帝国などと通行権益争いが絶えなかったのですが、明治時代の日露戦争で我が国がロシア帝国のバルチック艦隊を日本海に撃沈してしまったので、トルコ人たちの親日感情は特別なもののようです。

 

 1600年代に建築されました。大きな天井のドームと6本の尖塔がひときわ人目を引きます。スルタン・アフメット・ジャーミーは内側の回廊を埋め尽くすブルーのタイルにより通称ブルーモスクと呼ばれていますが、見上げるとそこにはあらゆる種類の「青」がありました。緑に近い明るい青、深い群青色、明るい空色などです。床を埋め尽くした絨緞にはメッカの方を向いた正面に向いて一人一人の区分を仕切った模様になっています。女性は2階にある天井座席です。その理由はお祈りをするのに男女一緒だと女性のお尻が顔の前に来てしまうのでいけないということでした。

 

 

ブルーモスク。世界で最も美しいモスクとされています。

 

東ローマ帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として建築されたもので、ビザンティン建築の最高傑作と言われています。オスマン帝国時代になって格式を誇るモスクとして利用され、現在は博物館になっています。

 

アヤソフィア。中ではキリスト教徒イスラム教が共存しているようでした。

 

 地下宮殿はブルーモスクの近くにある大きな人造貯水池で、4世紀、コンスタンティヌス帝からユスティニアヌス帝の時代に作られたとのことです。イスタンブールは半島の先に飛び出している場所なので、戦争の時に包囲されてしまうと水が無くなってしまうため、水不足にならないように遠くの川から地下道を掘って貯水池を地下に作ったのです。薄暗い地下宮殿の一番奥の特に太い柱の根元にメドゥーサの頭が2基あり、その顔が一基は真横に、もう一基は天地が逆になっていて中世トルコ人のユーモアを感じました。メドゥーサは髪が蛇、顔は醜くその顔を見たものは石にしてしまうという話がギリシャ神話にあります。私は内科診断学で肝硬変の時に臍を中心として現れる静脈瘤をメドーサの頭として習った覚えがあり、ちょっと懐かしい思いをしました。

地下宮殿。中には観光用の歩道が作られています。

横向きのメドゥーサの頭 地下宮殿の奥の方の柱の下にあります。

天地逆のメドゥーサの頭。地下宮殿の安全を祈願したのでしょうか。

 

 

 紀元前11世紀頃に建設された、文化的・商業的中心地です。ホメロスが住んだのもこの地とのこと。エジプトの女王クレオパトラとローマ帝国アントニオスが一緒に歩いた可能性もあるとか。アントニオスが図書館の本を全部クレオパトラに寄贈してしまい、図書館が空になってしまったというエピソードもあるようです。

ローマ帝国風の円形劇場。

水洗トイレ。下を水が流れる装置です。

医療所を示すマーク。当時も医療が発達していたのでしょう。