林医師の旅行記:エジプト

 エジプトはアフリカ大陸の南にあり地中海、紅海に面しています。ナイル川のデルタ地方で世界四大文明の一つである古代エジプト文明を発達させました。紀元前30世紀ごろには中央集権的国家が出来、紀元前26世紀ごろにはピラミッド、スフィンクス、王家の墓などの文明を発達させたとされています。現在は共和国ですが、経済も悪化し、治安状態も悪くなってしまいました。

 「神々の指紋」(大地舜訳、翔泳社1996)の著者グラハム・ハンコック氏によればピラミッド、スフィンクス、河岸神殿などは紀元前26世紀のクフ王、カフラー王、メンカウラー王たちが作ったのではなく、紀元前1万年以上前に作られたものであると考えています。スフィンクスの胴体部分の石灰岩の縦に削られた痕は長年の雨によるものだろうというのです。その理由は、紀元前26世紀頃にファラオたちが治めていたエジプトは気候が温暖で、その後は現在に至るまで雨が少なくなってきていますが、1万年以上前にはエジプト地帯も砂漠ではなく雨が多く、肥沃の土地であっただろうと推定しているのです。

 また、ファラオたちの建造物や王家の墓などにはヒエログリフ(エジプトの絵文字)が多数刻まれているのに、ピラミッドの中の玄室(石棺が置かれている部屋)や河岸神殿などには何も刻まれていないから、これらの建造物はファラオたちが作ったものではなく、後からファラオたちが何らかの手を加えたのだろうと推察しています。彼は鋭い洞察力と思考力に満ちている人であると感動しました。同じ遺跡を見てもガイドさんの言うことを鵜呑みにして帰って来た私と、自分の頭で考えて咀嚼する人の差です。この本に巡り合ってから私の遺跡巡りの旅が始まったのです。

 

スフィンクスの脇にある河岸神殿もスフィンクスと同じにカフラー王が建造したとされています。

スフィンクスの前にある河岸神殿。風雨で浸食された石灰岩の建造物の内側は裏側を石灰岩の凹凸に合わせて切り込みをし、表を平らにしてある花崗岩で内張りをしています。建造当初からこのような作り方をするのは理に合わないので、明らかに後年の補修工事だと思われます。

浸食された石灰岩。石灰岩がこのような姿になっているというのは、建築された後長雨に曝され続けたことを示しています。このことはグラハム・ハンコック氏が言うように1万年以上前からの建造物ではないかという説を支持する事象と思われます。

その部分のアップです。

 

 

 

胴体の部分は石灰岩で作られていて、水で浸食され削られた痕が見えます。

スフィンクスの顔が胴体に比べて非常に小さくて岩肌が奇麗なのは、後日に顔を削って整復したためかも知れません。

 

ルクソールはナイル沿岸にあり古代エジプトの都市でテーベと言われていた場所です。東岸には生を象徴するカルナック神殿やルクソール神殿があり、日が沈む西岸には死を象徴する王家の墓などがあります。

ルクソール神殿の石柱。奇麗に彫刻されたエンタシスの石柱が荘厳な雰囲気を醸し出しています。

ルクソールのオベリスク。左右対称で1対でしたが、右側に立っていたオベリスクはナポレオンが持ち去ったため、パリのコンコルド広場に立っています。

ルクソールで夜に行われた光と音楽のナイトショー。とても幻想的でした。

 

 

 

 この神殿はエジプトのファラオ、ラムセスⅡ世が最愛の王妃ネフェルタリのためにナイル川上流のスーダンとの国境近くに建築したもので、太陽王ラー、ハトホル女神などを祭ってあります。
 近代になり、エジプトが治水、発電、工業発展などのためにナイル川に巨大なアスワン・ハイ・ダムを建設する計画を立てました。その計画でダムのため水位が上がり神殿が水没してしまうことが明らかになったため、1960年代にユネスコが国際的な救済活動を開始し、アブ・シンベル神殿を約60m上方にドームを基盤として解体移築しました。神殿の裏に廻ると大きな鉄筋コンクリート製のドームがあり、改めて正面を見るとラムセスⅡ世の像などあらゆるものが移築のために四角なブロックにされた痕があり、壮大な工事であったことが窺われました。

アブ・シンベル大神殿外観。ラムセスⅡ世の像が威容を誇っています。

アブ・シンベル大神殿内部。壁には浮き彫りに王の業績、神聖化された聖なる船の前で儀式を行う場面、カディシュの戦いなどが描かれています。

この神殿で一番奥に安置されている4体の像。年に2回神殿の奥まで日の光が届き、左端にいる冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすようになっています。

大神殿の隣にあるアブ・シンベル小神殿。ラムセスⅡ世、ネフェルタリ等の像があり、脇には王子と王女を配置しています。